自分で決める力ってもっていたいね。

お世話になってるSさんからお誘いがありました。Sさんが以前勤めていた職場の先輩Uさんと飲むので一緒に!ということでした。

Uさんは専門分野では、かなりの有名な方で大変偉い方なのだそうです。

『無口な方ですが、よろしくお願いします』と事前に言われてしまいました。この私に「お願いします」って言われてもねぇ~。Sさん!私のことわかってるのかしら?

そのようなことを言われても私には意味がなく、偉くったって、偉くなくたって、有名であろうが、なかろうが、結局は同じ人間なのですから、楽しいか?なんて接してみないとわかりません。特に気にせず、普通に会って楽しいひと時を過ごしてきましたよ。

と言うより、Uさんから色々とお話をされてきて、私が話す隙なんぞなくなりました。話の途中、Sさんから話をしてきても、Uさんは自分の話をやめませんし。同時にお二人が話されたときは困ってしまったほどです。

そんなUさんとの会話中に「無口な方ですから、、、」と言ったSさんの言葉を思い出しました。「???・・・全然、無口じゃないじゃんか!むしろ多弁だぁ~~!!!」

Sさんは「滅多にないこと!」と仰いますが、今回のUさんは、Sさんが知ってるUさんとは一致しなかったようですね。「やっぱり他人の話って宛にならないモノだなぁ~」と、久々に思ったのでした。

 

そんなことから、今年になり沢山の噂話を聞く機会が増えたので思いついたことを書いてみようと思います。

「噂」や「他人の意見」が先行して、人をみていることって多くないですか。先入観を知らず知らずのうちに身に付けてしまって判断していることってよくありますよね。

実際には見てもいないのに、自分があたかも見たかのように話す人がいたり、また、悪い「噂」を耳にしただけで、まるで自分がイヤな体験をしたかのように他の人へ話している人もいます。

その「噂」や「意見」に反応して、自分の意見ではないのに自分の意見になってしまっている人もいたりして・・・。よくよく聞いてみると、事実は何一つ知らなかったりすることもよくあります。

他人の意見を聞くことって大切ですけど、自分で判断できることはもっと大切だと思います。

事実をもとに多数の意見を想像できる人は、多くの人から共感が得られるのかもしれません。ここまで出来る人は、きっと道理にそった考えをしており、また、そのような方の話には一貫性があるように思えます。

他人の意見で判断をするのではなく、自分で判断したいですよね。ただ、自分で判断して決めることって、実は強くないとできないことかもしれません。

流されない生き方をしていきたいと思います。 

ほんとの幸せって形はないんだよ。

仲間と沖縄へ行った時のことです。

沖縄で出展ができると聞いた時、なんとなく「良さそう~」と思い、私から「手伝いに行きたい!」と伝えました。

そうです!仲間の仕事を広めるために沖縄でイベントをしましょう!と、半ば強引に実現させてしまいました。

その時の私はといいますと、カンが冴えていて、すこぶる調子のよい毎日でした。

「絶対によいことがある!」としか思えず、一切の疑念はなかったのです。

ですが、実際にイベントを実現しても変化は一切なく、言い出しっぺの私は殆ど手伝えず、周りを巻き込むだけ巻き込み、なんとも申し訳ない気持ちが残っておりました。

あの時のカンは何だったのか?ただ、沖縄へ行きたかっただけだったのか?

そんなことを考える事もありましたが、先日、沖縄へ一緒に行った仲間Nさんと久しぶりに会いましたら、今度、沖縄の治療家Iさんの所へ手技を習いに行くというのです。

ほぇ~。

沖縄で出会った治療家Iさんは、以前私が習っていた手技をしており、お師匠さんも同じという偶然も重なり、初対面なのに随分と話が盛り上がったのです。

元々、興味をお持ちのNさんでしたので、色々と質問されたことを思い出しました。まさか!Nさんが沖縄まで習いに行くなんて想像もしていなかったので驚きましたよ。ご縁というのは何処にあるのかわかりませんね。

Nさんから報告から勝手に思ったことがあります。

ほんの些細なことであっても、相手が変化を起こした事象に自分が関与していることって嬉しいこと。あえて自分勝手な考え方をすると、相手のために自分が役にたっているって、喜びを感じるモノなのです。

ある方は「快楽を幸せと勘違いしている人が多い」と仰っています。

自分の「外」にあるモノばかりを得ても、満たされないことが多いという意味です。物質などを手に入れたとしても、これはエンドレスであり、次から次へと求めることが強くなって、本当の幸せとはかけ離れていくのです。

そこへ気づけたとき、自分の行動が自然と変わっていくのでしょうか。

「内」にあるモノが満たされますと、本当の幸せを得られますよ。よかったら相手のことを考えて行動してみてくださいね。

続けることができる人でありたい

鍼の実技チェックをしていただきました。

今回の実技のチェックは、臨床実習が始まる春先に、困っている私のことを何処からか耳にしたのでしょう。先生から「チェックをしてあげるよ!」って声をかけてくださいました。

臨床実習の流れはどうでもよいので、鍼の打ち方を教えて欲しいとお願いしましたら、快諾してくださいました。

鍼を打ってる時に指摘して貰えるのかな?なんて想像をしていましたが、先生の体を治療するというではありませんかぁ!

それを聞き「げっ!イヤだぁぁぁ~」と心で叫ぶものの、今さら撤回はできないし。その時は自分の発言をどれだけ後悔したことか。。。

殆ど練習をしていなかったので、先生との会話中に絶句した記憶があります。

そして、夏休みが過ぎて練習から遠ざかり、すっかり実技チェックのことは忘れていたある日のこと。「今日はチェックの日だよ!」と突然言われて、同級生Jさんにお願いして練習をさせて貰いましたが時既に遅し。Jさんから「いつもの鍼じゃないね。」と言われてしまいました。自分でもびっくりするほど、指がスムーズに動かず、変な癖もでていたし。チェックがあると思って慌ててましたしね・・・

実際にチェックが始まると、会話をしながら治療するように言われ「実技チェックだけじゃないじゃん。」と心で半泣き状態。

何とか一通りの流れはできたものの、緊張の余り鍼はボロボロ。先生が振った話題は、今の私には同時進行はムリムリ~と判断して、強引に話題を変えてしまいました。

最後には先生から「少し雑じゃない?」って言われてしまう始末。

「やっぱりわかっちゃいましたか・・・」と心でつぶやく私がいました。。。

そんなこんなで、無事治療が終わると先生から細かいフィードバックをいただきました。その内容は、春にお願いした技術ついてだったのですよ。本当にありがたいことですね。

国試に向けて実技は遠退く毎日ですが、技術の後退があっても地道に何年も続けていれば、いつかは前進するでしょう!と自分に言い聞かせノンビリ~やっていこうと思います。

大切なことは、どんな状態であっても諦めず止めなければ良いのですから。

続けることって、誰にでもできることなのに、できないことが多いように思います。

「続ける意思」を持ち続けていたいです。

 

人の役にたつには、自分が安定することかもね。

学生生活が残り半年を切りました。

テスト、テストが続き、模試やら校内試験やらで日曜日に登校したり、臨床実習で一般患者さんを治療したり、ストレスが溜まる毎日です。

流石にユンケルへ手をだしてしまいました。

先日、実技の卒業試験が行われました。3年生全員が順番に試験をするのですが、学校へ登校すると、尋常ではない雰囲気を感じました。

テストを控えてる人からの緊張のエネルギーだったり、テストが終わっても興奮から冷めない人からの高揚のエネルギー、緊張感から解き放たれ気抜けしたエネルギー、テストに失敗して落ち込んでいるエネルギーなどなど・・・

その他、沢山の感情エネルギーがミックスされていました。

そんなエネルギーに包まれた学校に登校した生徒が、一瞬で緊張した状態になっていました。その横にいる私まで心臓がドキドキとしてきたのです。

あ~この感情は私のモノではないなぁ~と、、、

沢山の練習を積み重ねて、誰からも認められるくらい上手であっても、緊張することで失敗につながることもある訳です。他人に影響をされないようにした方がよいに越したことはありませんよね。

以前の私も本領を発揮できないタイプでしたが、今はかなり克服していることに気が付きびっくりです。随分と図太くなってしまいました(笑)

そんなことから、自分が臨床に出た時のことを想像してみました。

患者さんが治療をしたいと思う時というのは、既に色々な感情を持っていると思うのです。特に体調が優れない期間が長ければ長いほど、気持ちが沈みがちですからね。

痛かったり、辛かったりする患者さんの気持ちに寄り添い、でも感情には引っ張られずに、治療が終わってお帰りになるころには笑顔がみれるといいな~なんてね。なかなか難しいことなのでしょうけど、そんなことを1人で妄想してしまいました。

常に自分が自分でいることの大切さを思い知らされました。

学生生活最後の実技試験だったので、しっとりとした気分に浸ってます。

来年はどうなっていることやら。。。

自業自得の意味って・・・

学生最後の夏休み中です。

夏休み開始後、2週間はバタバタしており、やっと落ち着きホッと一息ししていましたら、もう直ぐ夏休みも終わりとなります。全く勉強もしなかったから、急に焦りだしました(笑)「自業自得」ってヤツですね。

この「自業自得」って、仏教用語って知ってましたか?

「今の悪い現状は、自分の悪い行いから来るモノ」というような、悪いことを差すときに使うことが多いですが、実は「良い行いをすれば、よい結果が得られる」という意味もあり、自分の行為そのモノが、その結果を生むという考えです。

善悪を問わないのですよ。

 

なので、自分の幸せは自由に選択をできるのですから、現在の幸・不幸は自分の行為の結果であり、これが「自業自得」って言う意味になります。

 

どうも、イヤな事があったりしますと、「なんで私ばっかり~」「どうせ私なんて~」などと思ってしまいますが、そんな時こそ!「自分はどうなりたいか?」を考え、道理に沿った生き方をすることが、大切なんですね。

 

焦りを感じずのびのびと過ごせる自分になるために、勉強を始めるとしますかー。 

しかし、夏休みの過ごし方が小学生のころと全く変わっていない自分にもびっくり。今更ながら、再確認しました(泣) 

技術より心持なのよね

先日、お世話になっている先生の治療を受けてきました。

印象的だったのは、体調不良の原因を特定するまでの時間がかなり早いと感じました。感覚が鋭い方ですから、余り問診をしていなくとも色々とわかるのでしょうかね。触られる所が痛いのなんのって「普通、こんなに痛がらないよ」って言われました。

治療は、問診の時から色々と話かけてくださったり、鍼を打たれて体が緩めば会話をやめて寝させてくれたり、相手の状態を直ぐに察知して対応を変えていらっしゃいます。普通のことのようですけど、これってかなり高度な技術なのですよ。鍼に集中もしなくてはいけないのですからね。また、折角の先生の治療と思って質問をしようとしましたら、学校では見せたことのない険しい表情をしてるし、、、

「こりゃぁ~今はとてもとても話しかけられないや・・・」

こっちが気を遣うような場面もあったりしましたが「患者への対応は全て同じ!」なのでした。

技術習得が目的の予約でしたし、学生の治療で真剣に治療してくださってありがたいな~と思い、今後の治療頻度まで聞いてしまいましたよ。学割があるから利用しないとね(笑)

そして今回、先生の治療を受けてみて学校での出来事を思い出しました。

余りにも知識がなさ過ぎて、どのように治療を進めてよいか分からなかった時、先生に質問をしたことがあります。先生から「鍼1本に魂を込めるつもりでやれ!」と少々厳しい口調で言われ「そんなせっしょうな~」と、心で嘆いたことがありました。

私の質問内容から真剣さが足りないと分かったのでしょう。

実際に治療をすると、知識が増えたって回復に結び付かないことって沢山ありますし、結局のところは、治療者は相手を選ばず、今ある自分の技術で丁寧に対応することだけが大切だってことですね。

患者が求めることを理解することの方が、一番の効果につながるのかもしれません。

やっぱり、先生の治療を受けるって勉強になりますね。

 

どんな自分なら好きと言えるか?考えてみた

儒教の教えである「五徳」について書こうと思います。

先日、他人を判断する基準に「五徳」の考えがあることを聞き、かなり心に響いた内容だったので記録に残そうと思いました。会社経営者の方などは知っていることですが。。。

 私がサラリーマンだった頃、よく飲み会へ参加をしていました。特に若い時は断らず、結構楽しみましたよ。なので言えないような失敗も沢山あります・・・

何が楽しいのかと言いますと、お酒が入ると業務中よりも他人との距離が近くなり、親密度があがります。その人の「本音」「素」「地」が出て楽しくなると言いますか。。くだらない、アホ話をしている時に信頼関係が築けたりするんですよね。

 

これって「五徳」の精神が日本の社会に根付いているから?でしょうか。

酔っ払っても、この「五徳」の哲学を持ち合わせていると、他人の判断ができるのかな~?と思いました。このようなことは、特に男性社会でよくみられる光景ですね。

本来、お酒は神聖なモノとして扱われてきたこともあり「契」のときのブツとして使うこともありますから、こじ付けて考えてみると納得したりしてます。

※居酒屋にいるお父さん方を想像すると「???」という思いも生じますが、こちらは無視しましょう(笑)

 

さて、かなり話が脱線してしまいました。「五徳」の意味を書いていきます。

「温・良・恭・倹・譲」

他人に対しての接し方は、穏やかに温かく、素直で、丁寧に、慎ましく、へりくだることを伝えています。

「仁・義・礼・智・信」

 他者への思いやりを持ち、正しい行いをして、礼儀正しく、道理知り、誠実であれと。

 

普段の行いに「五徳」の精神が現れている人は、見る人から見ると「合格」となるのでしょう。この人は信用できる!と判断されるわけです。

それぞれの宗教哲学に触れますと、昔の人はほんと真理を伝えてるなぁ~と、またまた深く感心してしまったのでした。

少しだけ「儒教」の教えが残る家庭に育ち、反発をしてきた幼少時代がありました。ですが、今回「五徳」の意味に触れ、心に響くモノがあったということは、少しは?大人になったと考えてよいのでしょうか。

 

そう考えると、歳をとるっていいモノですねぇ。

自分が「五徳」「五常の徳」の精神を持ち合わせている人間でありたいと思います。

 

そもそも「縁」って、なんなのさ。

「同気相求=どうきそうきゅう」という言葉があります。

「気の合う人は自然と引き寄せあう」というような意味です。ステキな言葉だと思いませんか。※因みに、細かい意味などはご自身でお調べくださいませ。

まさにその通り!昔の方は真理をついていますよね!

今年になり、ある先生と食事をする機会が増えています。

昨年の冬から「飲みに行こう!」な~んて話をしていましたが、中々実現しない状況でした。その数か月後、とある駅のホームでバッタリと会い、昔引き裂かれた恋人との再開というような?(ちょっとオーバーかな)偶然の出会いにお互い感激し、人目を憚らずハグ連発の状態でした。

お互い大陸系の感性を持っているのか?今考えても随分とドラマティックな再開だったなぁ~と思います。

おっと、いけない!この方は失うモノが多いお方!変な噂がたつと面倒だぞ!と冷静になり、やっとこさ先生と生徒の普通の関係に戻るのでした(笑)

それを機に何度かお逢いするようになり、お互いの共通点や繋がりを感じたりして、更に親近感が生まれているようにも?思えます。「縁」が深まってきた今日この頃です。

 

「気の合う人」とは「縁のある人」と私は考えます。

その「縁」とは、自分の一番のタイミングで深まるようになっているのでしょうかね。今回、そんなことを思ってみました。

「縁」があっても、その「縁」が深まらない場合は、お互いの「思い」や「時期」などに影響しているかもしれません。

最終的には、自分の「思い」によって深めているのだと思うのです。

自分で積極的に「縁」をつくるようなタイプではありませんが、不思議なことに、どんな時でも必ずよい人との出会いがグッドタイミングで現れるのです。

ということは?自分の「思い」によって、「気の合う人」=「縁のある人」との出会いを生じさせるのですから、「思い」とは、物凄いパワーを持っているのでしょうね。

ある意味、怖いですねぇ~。

「思い」=「気エネルギー」なのですから、自分の「思い」をどのように持つかが、大切ということです。自分と似た「気エネルギー」を持つ人との「縁」に出逢いますよ。

どんな「縁」を求めますか。

「縁」がもたらすモノは大きいです。だからこそ、築いた「縁」は一生大切にしたいと思っています。

あなたは行動する人?しない人?

この頃は、下級生の体を貸してもらって治療練習をしています。

夜間の生徒で私と同じ治療スタイルを練習している人がいないので、1・2年生の体で練習させてもらっています。

最初は、1人で練習している下級生に手当たり次第、声をかけまくったのです。

意外や意外?心よく体を貸してくれるんですよ。みんな、好い人でありがたいです。

それを見ていたクラスメイトは「凄いねぇ~」「社交的だね~」なんて言っていましたが、私は社交的ではないです。ただ練習をしたいだけでナンパをしただけなのですよ。

 

そして、このクラスメイトの言葉で再確認したことがありました。

やっぱり「行動」するって大切だなぁ~と。

 

なんでもそうですが、最終的には「行動」することで、その後の状況が変わるのです。

考えているだけは、なんの変化もなく、時間がだけが過ぎていくだけ。しかも「行動」しようと思った時には、時すでに遅し・・・な~んてこともあり、後で後悔をすることだってたあるかもしれません。

今回のように、とりあえず「行動」したことで、最初の目的だった、体を触る機会も増えましたし、その治療練習をみていた先生も試したいと言ってくださったり、治療した下級生からは、更に紹介者も教えてくれるオマケ付き、練習すると疑問も増えますが、何となく分かってくることも増えたりして、なんとも恵まれた状況になりました。

下級生からは、楽になった!気持ちよかった!また受けたい!なんてことも言ってくれますから、お世辞もあると思いつつ、なんとも嬉しい毎日を過ごしています。

 

「行動」について話を戻しますと、

ごく稀に「行動」せずとも変化が生じる場合がありますが、それは「ラッキー」なできごとに過ぎません。ですから、自分と今の周りを変化させたければ、自分で「行動」するほかありません。

どんな些細なことであっても「行動」しさえすれば変化はします。失敗したら他の方法を探せばよいのです。それに、自分から進んで「行動」した方が楽しいですしね。

 

人生なんて、あっ!という間。

どうせなら、楽しい毎日を過ごしたいと思いませんか?

 

今年の夏は、思い切って「行動」しちゃいましょうよ~

 

すげぇ~練習だ!

学校で練習をしていたときのこと。

昼間部の3年生が、体の緊張が取れない下級生に鍼を刺していました。

なんと、全ての足の指に鍼を刺してるではありませんか!!

先生に教えてもらってから、何度も自分の足で試したというのです。体の巡りがよくなり頭痛まで治るのだとか。

 

 これを見た時、私は驚愕しました!!

 

「昼間部はすげぇ~なぁ~」と、粗野な言葉遣いで本音を漏らしてしまいました。

開いた口が塞がらず、眉間にシワが寄っていたに違いないです。

近くにいたY先生は、私の固まった表情をみて、微笑んでいらっしゃいましたが・・・

  

ここは刺激が強いですよぉ~。

 

そんなに刺激が強いところで、10本も刺さないと体の緊張が取れないっておかしいでしょう?10本の鍼を刺す前にも治療をしているのですし。。。

しかも学生だから、そんなに体が悪いわけでもないでしょう?鍼は刺さなくても、体の緊張は取れるのだから・・・

 

どうも、痛がりで刺激の強い鍼でダメージがでてしまう私には、相手の体が心配になってしまいます。が、、、鍼を刺された本人は、今迄で一番緩んだと大喜びでした。

そうなんだ・・・本人は平気なのですね。

 

この鍼を見てから、自分が気にしていた「やり過ぎ治療練習」が大したことではないと思えるようになりました。

 

だからと言って、私は刺しませんけどねっ!

 

鍼灸は「刺激は少なく、効果は大きく!」が良いと思ってます。